私は白人女性がひとり暮らししているアパートにホームステイをしていた。言葉もろくに通じない、交通の利便性が悪くて車がないと不便なのに足がない、水道の水は飲むなと言われ、喉が乾いて飲み物を買おうと自動販売機を探すが見つからない…。今までできたことが容易にできなくなり、自分がこの世界でどれだけちっぽけな存在なのか思い知らされた。
私が培ってきた日本の常識はそこでは非常識になることもあった。人に(よっては)笑顔で挨拶すると下心があると思われたり、日傘を使うと変な目で見られるし、また公共の場でお財布をそのまま持ち歩くなんて危険過ぎて皆しない。盗難、スリなんてそこでは日常茶飯事。
ある日、街角を歩いていると、目の前を歩いていたラテン系の男に覆面の警官が数人で飛びつき、男を取り押さえ、後ろで手錠をかけてあっという間に連行していった。犯人はスリをした現場を警官に目撃され、尾行されていたのだ。当時、経済大国第1位のアメリカってよく新聞やテレビなどが謳っていた時代、どこが世界一なのか、まったくわからなくなった。当時の私はいつもその答えを探していた。
後で分かったことだが、自販機がほとんどない大きな理由のひとつは、窃盗が多いからだという。勿論、デパートや学校など室内に置いてあるところもあるが、屋外だと被害者の顔が見えないため、犯罪を犯しやすいのだという。以前、ローカルニュース番組で見た、屋外に設置してあった自販機を重機でぶち壊して、現金を持ち逃げしたという事件に唖然とした記憶がある。屋外はとにかく危険、それを承知で敢えて屋外に設置している自販機の多くは鉄格子で囲まれている。
ホームステイするとその家ごとに決められたルールがある。バーバラのところにもあった。一度社会に出て働いた身、子供扱いされてはたまらないと内心思いつつ言い返せないまま、彼女は夜10時が門限と決め、時間を過ぎたらドアチェーンをかけると言った。朝から菓子パンとジュース、夜はチンした冷凍食品を与えられた。これが数か月続くと身心のバランスが上手に取れなくなり、ちょっとしたことでイライラして、病院にいくほどではないが体調があまりよくない日が続いた。
ここで初めて母親が作って食べさせてくれた日本食の有難さを痛感した。なぜ和食が日本の伝統的な食事として定着したのか、身をもって知った瞬間でもあった。この頃から私は食事に気をつかうようになった。
和食のほかに、日本を離れて痛感したことは、日本の治安の良さだった。バーバラが夜10時以降にドアチェーンをかけると言ったのも、今となっては一人暮らしをする女性が防衛のためにする習慣であり、実際に近くのアパートで一人暮らしの女性が狙われ、犯人はまだ捕まっていなかった。また、1994年に起きたO・J・シンプソン事件の現場はそこから歩いて数分のところだった。私がホームステイしたのは1997年の初夏だが、事件から数年経っていた当時でも邸宅の前には「keep out」と書かれた黄色のバリケードテープが張り巡らされていた。
(つづく)