エッセイ 神社、仏閣

明治神宮百年祭 

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明治神宮鎮座100年と聞いて、この週末参拝に行ってきました。お日柄もよく、この日は境内に沢山の観光客が押し寄せていました。外国人観光客も年々増えていますよね。

 

次の100年を迎えるために明治神宮では、御神殿の修復工事、第一鳥居の建て替え、そして参道のスロープの設置などの事業に取り組んでおられました。宝物展示施設も建設するそうです。そのための奉賛金をお願いしていたので、少しお納めしました。そのお礼にこんなものを頂きました。

明治神宮の森は人工であることは結構知られていますね。大正9年創建時、全国各地から奉納された十万本もの木々が、当時の青年たちの勤労奉仕によって植樹されたものだといいます。あれから100年が経過し、お役目を果たされた御神木は鎮座百周年に奉賛の章にしてお配りしていました。

 

袋の中から取り出すと、両面に文字が焼き付けられていました。人生100年時代と言われるようになった今、明治神宮鎮座100年とはたったそれだけの時間しか経過してないような気さえします。その100年の間に何度も危機にあった日本。それを考えますと今私たちが生きていることは当たり前ではないように感じます。

 

それと今年は明治維新150周年。大河ドラマもそれにならってか幕末が舞台になっています。かつて日本政府が明治維新100周年を祝おうと「明治百年祭」準備会議を立ち上げたとき、当時の学生たちの反対デモをきっかけに反対派が全国に広がったそうです。1968年10月23日、東京武道館で式典は無事執り行われましたが、大きな節目となる150年に式典が執り行われないのも不思議な気がします。アメリカに独立記念日、フランスにも革命記念日があるのにね。「明治維新に対して暗黒の戦争時代と結び付けて考えてしまう日本人が少なくない」と、8月4日付の東洋経済、リチャード・カッツ氏の記事を思い出しました。

リチャード・カッツ 東洋経済 特約記者(在ニューヨーク)

「明治維新150年」を祝わない日本人の不思議 石橋湛山が考える維新の「真の遺産」とは?

 

日本の過去には歓喜したくなる良いことも顔を顰めてしまうような悪いこともあります。でも私たちの国・日本が継続している事実、つまり歴史を辿ることは自分たちを知るうえで必要不可欠ではないでしょうか。

私たちの生活の基盤は両親、祖父母、そしてご先祖さま方によって構築されたもの。その綿々と受け継がれてきたものの上で私たちは暮らしています。政治、経済でいろいろ問題が山積している日本でも、与えられていることに気づき、感謝できれば未来は明るいはずです。私たちの国のためにできることは些細な事ばかりですが、こんな自分でもお役にたちたいと願っています。「~の役に立ちたい」というと、引いてしまう若者もいます。ダサいんだそうです。それでも私は構いません。

結婚式の行列に遭遇しました。晴れやかな伝統的な結婚式。まるで未来を予知した感じがして写メ撮りました。

明るい未来のために、歴史から過去に何があったのかを学び、皆で一緒に考えていく時代を迎えているのだと思います。

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